初めての子育てに取り組み、気分の上下が激しくて仕方なかった頃、私は頻繁に母と話していました。
産後2か月は夫と娘と住む自宅に来てもらい、家事や育児を手伝ってもらい、合間によく話しました。
母が実家に帰ってからも、気持ちが落ち込んでどうしようもない時は電話で連絡していました。
母と話せば楽になるわけではなくて、どちらかといえば気持ちは更に落ち込むことが多いと気づいていました。
それでも話さずにいられなかったのです。当時は、我ながら不思議でたまりませんでした。電話をかければ、落ち込んでしまうことの方が多いのに、すがるように電話をかけてしまう自分が嫌でした。
今思えば、制御できないほどに母を頼ってしまったのは、私の過去を知った上で話せる人は母しかいなかったからです。
産後半年ほどは、地域の保健師さんに自宅に時々来てもらい、子育てについて、気持ちが落ち込むことについて話したものでした。
しかし、いきなり知り合って自分のことを分かってもらうことは実に難しいことで、分かってもらえない虚しさが積み上がるばかりでした。
私は、自分の心が「閉じる瞬間」を自覚することがあり、そこから先は会話が苦痛になってくるという分岐点を持っています。
そういった分岐点の一つとして
「みんなそうだよ」
(私の状況や思いに対して)「そんな人、誰もいないよ」
といった言葉が投げかけられる時があります。
そう言われれば、そうなのかと思って割り切れる人も多いのかもしれません。
私は、変人の自覚もありますし、「みんな」から仲間はずれにされてきた経験が多いということもあって
そう言われた瞬間に心が閉じてしまいます。
そんな私が母によくこぼしていたのは
「共感できる人がいない」
ということでした。
私を受け入れて愛してくれる夫も
あまりにも過去に生きてきた背景が違いすぎて、
本音をぶつけ合うと喧嘩になることがあります。
夫は友だちが多く社交的で、明るくみんなと盛り上がれるタイプですし、転職経験もなく、世の中と相思相愛だなと感じています。
対して妻の私はひねくれ者で、世の中をだいぶナナメに見ている自覚はありますので、共感できないことは山ほどあります。
友だちも、夫以上に共感できないことが山ほどありました。
ネットで検索して共感する言葉が見当たらないか一生懸命探しましたが、
どこかに「違和感」がある。
ヤフー知恵袋などで「子育てがつらい。もう限界」という相談であっても、ほとんどが文章のどこかに「子供はかわいいです。愛しています。」と書いていました。
それが本音なのか、それとも取り繕っているのか、言い訳なのか。
頭の中にハテナがポンポンと浮かび、意図が分からない気持ち悪さが違和感になり、落ち着きませんでした。
その違和感は意外とつらいもので、やっぱり私がおかしいからなんじゃないかと思えてくる時も数多くありました。
母は、私にこう言っていました。
「どこかに、いるんじゃない。あなたが共感する人が。きっと、いるんじゃない」
母にとっての「共感できる人」は、曾野綾子という作家でした。
母はその作家の言葉を胸にしまい、繰り返し自身に言い聞かせながら生きていることを、私は幼い頃から知っていました。
自宅の本棚に置いてあった旧版の「戒老録」を、私は小学生の頃から読んでいました。
今でこそ母と距離を置いて生活している私ですが、子どもの頃から結婚するまで、母との密着度合いは大変なものでした。
「中山可穂さんとかどう?」
母は読書好きな私の性格をよく知っており、きっと母自身と同じように作家に共感するだろうと読んでいました。
中山可穂という作家の本は、私が中学生の頃から愛読していました。
女性同士の恋愛を情熱的に描き、逃れられない運命に対する思いが感じられる素晴らしい作品で、ずっと手放さずに読み続けていました。
花伽藍は、短編集になっていて、中山可穂のエッセンスが凝縮された本だと思います。
最終話の『燦雨』は、愛し合って一緒になった二人が年老いていき、認知症を発症したパートナーを看取るまでの物語ですが、
「慈しむ」とはこういうことかと思わされる、愛し合うということがこれ以上ないほどに美しく描かれていて、
愛することはこんなに美しいことなんだって、決して忘れないようにしよう。
と思い続けることができる作品です。
ただ、共感とは少し違ったのです。
中山可穂の作品に対する思いは、憧れに近いかもしれません。
愛することは美しいと、教え続けてくれる作品です。
「共感できる人は、いないよ。絶対に、いない」
私は、母にそう言い続けていました。
母はそれを聞くといつも悲しそうにしていましたが、
その何千倍も、母の言葉を聞いて私は悲しい思いをしてきたと思っていました。
そんな頃からしばらくして、私はこのブログを始め、自分の思いや過去を整理することにしました。
同時に色々なブログを見てまわることも増えました。
違和感のない文章が、ありました。
私の共感する人は、ネットのなかにいました。
「共感する」は少し言葉足らずで、「言葉がしっくりくる、すっと胸に入る、落ち着く」の方が正しい気もします。
この人の文章表現は私にとってすごくしっくりきます。
すごく論理的で、厳しくて容赦ない書き方も多いのですが、奥底には「悲しみへの共感」が深く流れていて、読めば読むほど虜になる文章です。
文章の書き方は客観的なタイプで、どちらかというと上から目線の印象もあり、俯瞰するように世の中を見るタイプの文章です。
けれど、恵まれない境遇で苦しんで生きる人たちと実際に会い、時に愛し合ってきた過去を持つ鈴木さんの文章は鬼気迫るものがあり、理性と情熱の間を行ったり来たりする文章は美しいです。
「私は覚醒剤をやらない」と宣言して「ああ、そうですか」と引き下がる裏社会の人間などひとりもいない。ドラッグを扱っている人間と関わると、たとえ自分が覚醒剤は絶対に手を出さないと思っていても堕とされる。
たとえば、悪意を持った男が知り合った表社会の女性を堕とす時、女性の意思とは関係のないところで、覚醒剤を「仕込む」のだ。
(鈴木傾城:ブラックアジア『日本の女性受刑者の約40%は覚醒剤で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる』より引用)
興味深いことに、日本の経済が悪化していけばいくほど、その前向き思考はどんどん原理主義化していき、もはやネガティブなことを考えることや、落ち込むことすらも自分で許さないような方面にまで到達していった。
よく考えれば分かるが、人は誰でも絶好調の中にいる時、高揚感に溢れて「前向き思考になろう」と思わなくても勝手に前向きになる。
意識して前向き思考が必要なのは、不安と恐怖と焦燥感に駆られている時なのである。不安が大きければ大きいほど、それを掻き消す「何か」が必要になった。それが日本人は「前向き思考」だったのだ。
(鈴木傾城:ブラックアジア『1990年代の経済情勢が悪化から「前向き思考」が宗教のように広がった』記事より引用)
こういった考え方がすごく好きです。
落ちこんで仕方ない時、鈴木傾城さんの文章を読むと、少しずつ這い上がっていけるような気持ちになれて、すごく救われます。少なくとも、私は。
今、私はめったに母と話さなくなりました。
最近、父が脳出血を発症した時は、父について随分話しましたが
自分のことを話すほどの時間は、とらなくなりました。
もちろん、母は亡くなったわけではないので、いつでも話すことはできます。ただ、娘を産む前や、産んですぐの頃と比べると、距離が大きく広がりました。
いつでも言えるようで、言っていない言葉があります。
言いたくてたまらないような気もするし、やっぱり何か傷つけられるかもしれないから言わない方が良い気もします。
「私ね、共感する人がいたよ。見つけたよ。作家の鈴木傾城さんだよ」
それを伝えたら、母はすごく喜んでくれるような気もします。
「これまでありがとう」なんて、薄っぺらい言葉よりも、ずっと。
けれど同時に、今まで、喜んで欲しくて伝えたら逆に傷つけられて、そんなことばかり繰り返してきたことも思い出してしまい、伝える気が失せてしまうのです。
もう、伝えることはないのかもしれない。あんなに母と寝ても覚めても喋っていた頃とは、随分と私も変わりました。
だからせめて、ブログに書いておきたいなと思いました。
共感する文章、しっくりくる文章に出会えて、落ち着いた気持ちで過ごせるようになったことを。
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