私が統合失調症になったのは、きっとこれが原因だ。

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子無し専業主婦だった頃、私はとても幸せでした。

夫を仕事に送り出して、家に一人になった瞬間、底知れぬ喜びが沸き起こり、小躍りしてしまうほどでした。

一人になりたい、一人の時間を持ちたい欲求が果てしなく強かったのです。

大きく空いた余白の時間を、どのように過ごすか考えるだけでわくわくして、心が躍っていました。

時間というキャンパスに、どのような絵を描くか。

そんな思いであふれていました。

もう演奏の予定はないので、楽器の練習をしなくてよい。

夫の転勤で引っ越したので、知り合いも誰もいない。

誰にも干渉されない、自由。開放感。最高でした。

妊娠中も、今思えばそれに近いものでした。

妊婦になったらメンタルクリニック受診を断られた時は困り果てましたが

Sクリニックには、2月に1度ほどの頻度で受診していました。 近況を報告してお薬をもらうというシンプルな受診の後、 統合失調症...

(私のブログ「統合失調症、卒業。」より、〝妊娠に至るまで(3)~産みたい病院を決めたとき~〟)

そういったストレスも、すべてを時間が解決してくれました。

時間が経ったらストレスが和らいだという意味ではなくて、

時間が充分にとれることで問題解決できるし、ストレス解消もできるという意味です。

私が一人の時間を求めている「度合い」は少し常軌を逸しているのだと思います。

夫は毎日残業で、定時で帰ることなどまずありません。

大体夜の9時くらいまでは帰ってきません。

朝は8時くらいに出ていくので、13時間ほど家を空けていることになります。

夫の同僚や上司の奥さま達は、専業主婦だと暇すぎて心を病んでしまう人もいるという話でした。

私は、暇と感じることは一切ありませんでした。

むしろ時間がない、忙しいと感じるほどでした。

もともと家事などの要領が悪く、手先が不器用で時間がかかるということもありますが、

例えばネットサーフィンしながら興味の深堀りをしているだけで、幸せで幸せでたまりませんでした。

独身の頃は、実家にパソコンが一台リビングにあるだけでした。

リビングでパソコンを開けば必ず母がのぞき込んできたので、自由に検索して興味を深掘りしていくことは不可能でした。

スマホも使っていましたが、スマホを選ぶセンスが悪くて全く使えない遅すぎるスマホを買ってしまい、ほとんど役に立ちませんでした。

スマホを買い替える余裕はありませんでした。もちろん、一人暮らしをする余裕も。

結婚して専業主婦になったら、誰にも邪魔されず、インターネットが自由にできるだけで幸せすぎて身もだえしました。

そして、私がいかに情報を得られずに人生を決めてきてしまったかを知りました。

情報が飛び交う競争社会で、情報を得ずに判断してきたことは愚かだった。

そのことを思い知りました。

私が高校に進学した頃も、インターネットに接続することはすでに可能な時代でした。

何も分からず、調べるという発想も浮かばず、親に言われたことに抗う術が思いつきませんでした。

私がうんと小さな頃、小学生の頃から

「あなたは音楽が偏差値が高いのよ。あなたは勉強もできるかもしれないけど、音楽の方がレベルが高いのよ」

と母親に言われ続けていました。

耳にタコができるほどに言われ続ける中で、私は自然と

「私が稼げる仕事をするには、世の中でレベルが高い(らしい)音楽を極めていくのが一番なのかな…」

と思うようになっていました。

実際は、音楽の仕事というのは天才でなければ自立することすら難しい、好きで好きで仕方ない人じゃなければ厳しすぎるものだったのに。

それに、仮に小中学生の時の音楽のレベルが比較的高かったとしても、たかだか小中学生です。

その後の人生はずっと長く、人生を通して自分の才能を信じ、好きだからすべてを捨てて音楽に懸けている人たちがたくさんいるのです。

勝てない。そういう人達に、絶対に勝てないのです。

そして、勝てなかった人の受け皿は、ほとんど無いに等しい。

もし、当時の私がインターネットを自由に使えたとしても、そんな情報にアクセスできたとは限りません。

情報にアクセスするには経験から来る「勘」が必要です。検索にもセンスが必要です。

ただ、夫の話を聞くと、大学受験の時、進路を決める時に社会を見据えて考えて決めていました。

「自分の得意分野ももちろん(考えたし)、世の中で必要とされる能力なのかどうかを考えて選んだよ。」

「世の中で斜陽になって傾いている分野よりも、伸びている分野にいたら苦労しない。そりゃあそうだよね。でもね、僕は選んだんだよ。考えたよ。ちゃんと考えて選んだんだ」

「有利な進路を選ぶ」ことができた背景には、夫の両親がしっかりと育ててくれたことや学力をサポートしてくれたこと、

自由を尊重する家庭の雰囲気だったこと、

他にもたくさんの支えや強運があったはずです。

ただ、考えていた。夫は学生の頃から考えて、選んでいた。

世の中にパソコンが登場してすぐにパソコンを買い、インターネットを駆使していた。

2ちゃんねるなどの掲示板も読み漁り「半分は嘘だから、嘘と本当を見分けられるようになった」と話していた。(2ちゃんねるは遊びだったと思いますが。)

考えれば必ずうまくいくわけではない。インターネットをすれば正しい判断ができるわけでもない。逆に多すぎる情報に惑わされてしまうこともあるし、考えすぎて行動できないことだってあると思います。

けれど、夫はインターネットの波に乗り遅れていなかった。そして、自分の得意分野が世の中で必要とされるのか、考えることができた。そういう半生を送ってきて良かったと思っている。

私はそれを聞いて、感じ入りました。

私の両親はインターネットが好きではなく、特に母親は今でも馬鹿にしています。

実家のパソコン購入も、世間から10年ほど遅れをとっていました。

私は中学三年生の時、「自分が音楽を専門にすべきでない理由」を母親に説得することができず

音楽高校に進学することを否定できませんでした。

今思えば、そんな説得は必要なく、少なくとも高校は普通高校に進学した方がよかった。

分からないのであれば、先延ばしにするという選択肢をとるべきだった。

自分の進路を、人生を、易々と親に売り渡してはいけなかった。

過去のことを言っても変わらない、ではなくて

過去のことであっても間違いは認めた方が私は楽になれます。

そして、その間違いが統合失調症の発病につながり、苦しみの連鎖を産んだ。

そう考えた方が、「自分の頭が生まれつき欠陥があったから統合失調症になった」と考えるよりもよほど楽です。

精神科の入院生活では基本的にやるべきことがなく、食べること、寝ること、お風呂に入ることぐらいで一日を過ごします。 その他の空き時間はずっ...

(私のブログ「統合失調症、卒業。」より、〝強制入院で経験したこと(3)~悲しかったこと、嬉しかったこと~〟)

そして、それはきっと真実だ。

私はそう信じています。