産後、向き合ったこと(2)~周囲との比較~

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前回記事に書いた、母の言った

「子どもの人生を少しくらい(自分の)好きにしたっていい」

という言葉を何度も何度もかみしめながら

「愛情とは比較だな…」

と思っていました。

どういうことかというと

夫は、そういう育て方をされなかった。

つまり、夫自身の可能性を伸ばすという観点で育てられた人です。

だからこそ、好きなことを学び専門にし、仕事にできている。

それはきっと運もあるでしょうし、いい親がいたからといってすべての人がそうなれるわけではないことは分かっています。

それでも、そういう親に育てられたことは純粋にうらやましいのです。

「そういう、子どもの可能性を伸ばすことを考えて育てる親もいるのに、
勝手に親の夢を子どもに託すような親に育てられてしまった。だから、愛されたように思えない」

そう思ってしまいます。

もっといい親がいるのに、私の親はこんな育て方しかしてくれなかった。

こんな親は、私の世代の親の中では(おそらく)少数派だろう。

そう思うこと。これは紛れもなく、比較です。

だからこそ「他の人はどうしているか」

「みんな、どうしているのか」

と一般的に気にするのは当然だなと納得すらしました。

私は基本的には「自分が信じる道」を行きたいと強く思うタイプです。

独自の考えを持つことへのこだわり、プライドのようなものもありますし

他人に従って、もしその他人が間違っていたとしてもその他人は責任をとってくれない
(私のために何かしてくれるわけではない。仮に何かしてくれたとしても、間違ったせいで逆境に陥った事実は変わらない)

という意識が強いからです。

けれど、周りを意識するのは当然で、

特に「自分が与えられている○○(愛や、報酬など)が妥当かどうか」

つまり

「自分は相手に愛されているのかどうか」

という基準を意識する時には、どうしても比較をするものだと思い至りました。

「自分が、相手に愛されているのか」

と考えた時に、その判断指標になるのは

「周囲との比較」だということ。

こう思ったら、育児に関しても残酷に感じたものです。

私が「これは私なりに育児を頑張っている」と思っても

周囲との比較で、もっと育児を頑張っている親がいると我が子が
(将来に)感じてしまえば、

「自分は親に愛されていなかった」と感じてしまうリスクがあるということです。

もちろん、程度問題というのはあるでしょうし

常識の範囲内であれば多少の間違いは許されるのでしょう。

そもそも子どもはできる限り親を愛したいと思っていて、その「愛したい」という思いは我が子からもいつも伝わってきます。
「愛したい」つまり、親の愛を受け取ろう、感じ取ろうと娘は努力してくれていると感じます。

しかし、何らかの許容範囲を超えてしまった時に

「愛されていない」と思われる可能性はあるのだということ。

私自身が親に対して「(充分に)愛されていなかった」と思っているからこそ

常にそのプレッシャーは感じて育児しています。

一つ加えて言うと、私が夫に対して感じ、表現している愛は

周囲と比較しても明らかに強い愛だと思っています。

自分自身が「強く愛している」と思うことと同時に、

「周囲の夫婦に比べても、私の夫に対する愛は強い」

と自信を持って言えるのです。

それが私にとっての安心材料の一つであることは間違いありません。

夫が「自分は愛されているか?」と考える時があるとしたら、

周囲と無意識に比較したとしても「愛されている」と思うだろうと予想します。
実際、夫は
「僕のことをこんなに愛してくれる人は、あやみしかいないよ」
と折に触れて話してくれています。

ただ、子どもに関してはそんな自信は持てません。

子どもがいつか「(周囲に比較して)自分は愛されていない」と感じたとしても仕方ないと思っています。

ただ、このことは

少なくとも日本では、夫婦の愛については求められるレベルが非常に低く、

子どもに注ぐ愛については求められるレベルが非常に高いという

そもそもの社会の持つ雰囲気が大きな理由でもあります。

求められるレベル、を簡単に言うと

みんなはこれくらい愛している。ということです。

子どもを大切に愛している家族が多い一方で、夫を愛することについては「堂々と話せない」と感じるほどの少数派の雰囲気。

夫に対しストレスを感じる、時には殺意を覚えるという内容のネットの記事が堂々と出回っていても

子どもについてストレスを感じる記事や相談があれば、決まり文句のように「子どもは可愛いです。愛しています。」という内容の文言を入れていることが多いです。

夫に対する記事や相談では、愛していると書かなくても叩かれることはないが

子どもに対する記事や相談では「愛している。可愛い。」と書かないと

壮絶な批判を浴びることが想像できるからなのか。

それとも、本当に子どもを持つ人(特に母親)は基本的に子どもを愛していて、またそれほど夫を愛していなくて、それは圧倒的多数なのだろうか…。

私の友達は数は少ないですが、話している時に「夫の愚痴」を笑って話す雰囲気はあっても
「子どもの愚痴」なんて話した日には空気が凍り付いてしまいます。
今でこそ周囲を理解し、話す内容は選んでいますが
出産してすぐの頃は子どもの愚痴を周りに話してしまうことがあり
大きな反発と強い蔑視を受けたものでした。
友達だけではなく、自治体の保健師・無料電話相談のカウンセラーですらも同じように冷たく凍り付いてしまうような反応をしてきたものです。

そんなことをよく考えてしまいますが

スーパーなどに買い物に行って見かける子ども連れの夫婦で

妻が話しかけても、妻が子どものおむつを替え、泣いている子どもをあやしていても

夫にあたる人が、どんな時もスマホから目を離さず、妻や子を無視しているのを見ると

「これは愛が醒めても当然かもしれないな…」

と思ったりもします。
自分の存在を無視してくる人を愛するのは無理だと思います。

私と夫は基本的に「どうすれば相手への愛情がちゃんと伝わるか」という観点で日々暮らしていて
愛情が伝わる方法をお互いに日々工夫しています。
「自分だったら○○されたら嬉しい」と思ったとしても、お互いの個性が違うために
相手も同じように○○されたら嬉しいとは限りません。
だから一緒に過ごす時間を重ね、お互いの理解が深まれば深まるほど
「自分は○○が嬉しいけど、相手は●●された方が愛を感じるのだな」
という発見が増えていき、さらに愛情を伝えやすくなります。

  

子どもを持つと、外出先で子連れの家族が気になるようになりました。

私はもともと統合失調症を発症していたくらいですから

周囲の視線が気になります。

繊細で、ちょっとしたことですぐに傷つきます。

小児科の看護師に
「世の中が母性を強制してきていると感じる」と相談したら
「何か難しい本でも読みましたか?」
と冷たくあしらわれてしまったこともあります。
「いえ、読んでないです」
ととっさに返しましたが、
読んでたら何かいけないのでしょうか…。
そんなことを重ねていくうちに
「一般的な相談先(自治体や保健師、看護師など)は頼りにならない」
という考えにいきつきました。

「子ども自身が、自分は愛されていると思ってくれるだろうか」

こんな内容を深く考えていることすら、世の中の母親たちには批判されるかもしれないと思います。

「考える暇なんてないほど、忙しい日々」を送っているのでしょうから。

それでも、私は考える余裕のある生活を送りたい。

そして、その余裕のある日々をサポートしてくれる夫に深く感謝しています。

いつも応援クリックをありがとうございます。励みにしています。

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コメント

  1. クレヌマユキミ より:

    はじめまして、同病で私も育児をしています!
    私感じたんですが、娘さんを愛せないそうですが、
    いわゆる虐待する親ってのは、目の前で旦那サンとケンカをする心理的虐待、直接子を殴ったり食べ物与えない、学校も行かせない類いとかで
    あやみさんは、愛せないと悩んでいても娘さんがまだ小さいから出来ないことには手を貸したり、ご飯も食べさせている、むしろかなりきちんと養育されているように感じましたし
    なんせ夫婦仲が、うらやましい位にラブラブだから、両親が互いを一番に愛している、ケンカの怒号が飛び交わない素晴らしい環境で、娘さんは健やかに育つことでしょうし、だから、私はママに愛されてない、なんて思い付かないかと思います。娘さんも幸せ一杯だから。
    それに、あやみさんは個人主義なのも、回りがもっと理解してやれば今までも生きやすかったかな?
    共感だけを求めてるツラいときに、共感されずに、例えばママなら絶対的に子供を愛して当たり前とか
    あまりにも集団に固守した古い考え方、
    嫌だなあと思いました。
    なんでもかんでも回りと同じじゃないとすぐに変わり者と言われやすい日本て、
    個人主義でパートナーが一番なアメリカンとかなり差がありますね!
    旦那の悪口が普通で、褒めたとたんにネットでもなぜか、叩かれる
    そんな風潮がいつか変わりますように
    ちなみに私も母性がない母親と自覚しています(笑)娘いますが、溢れる愛情で育ててはいません、産んでしまった責任だけで、まだ完全な大人になってない娘を事務的にサポートしているだけです。
    動物園や旅行も、親ならつれていかなくちゃ、て義理感だけでした。(笑)
    いつか娘に私を愛してないの?て聞かれたら、パパが一番なんだよー、ごめんね、あなたは二番目かな?→ライオンハートの歌みたいです(笑)て、言うつもりです。
    なんとかまっとうな大人に育てて、自立してくれて娘は娘にとって最愛の夫と結婚してくれたら、親は終わり、旦那と楽しみたいです!
    回りにばかり合わせることが人生の大事なことじゃないかも。
    あやみさんはあやみさんのやり方で、家族と幸せに暮らしてくださいね。
    旦那様と出会うことで
    本当の人生がスタートしたのですね!
    相性も抜群な素敵なご夫婦です。
    私ももっと旦那さんを一番に考えるようにします。
    素敵なブログありがとうございます。

    • Ayami Someya より:

      クレヌマユキミ様

      初めまして。コメントを頂きましてありがとうございます。
      管理人のそめやあやみです。
      私のブログを読んで頂き、共感して下さり、とても嬉しいです。

      心を病みながらの育児はつらいですね。
      クレヌマユキミ様も娘さんの育児を義務感でこなしていらっしゃるとのこと、仲間がいることを心強く感じます。

      子育ては実際に親の労力とお金と時間を削って与えて育てるという要素が大半だと感じています。
      そういった自己犠牲が苦にならないほど子どもに入れ込める人でないと、子育てはストレスに感じて当然かな、と。
      もしくは祖父母が頼れて、育児の雑務や家事を担ってくれる場合は少し違うのかもしれません。

      私はたまたま相性の合う夫と出会えたので、そこから人生を組み立てることができました。
      「こんな人生もあるんだな」と感じてもらえたらな、と思いながらブログを書いています。

      そめやあやみ