統合失調症だった私が、その病名を返上し、恋愛結婚をして子宝に恵まれたこと。
私は、自分の人生を原則「成功できた」と思っています。
実際に、自分が成功できたと感じることは多いです。
夫の真剣な愛が伝わってくる時は、特にそう感じます。
しかし同時に、
「自分が、周囲の人に理解されることはない」という悲しみも持っています。
その思いは、ずっと昔から抱えていたものでした。
その悲しみをバネにして乗り越えるために、自分に課していたことは
「オリジナルであることに誇りを持つ」ことでした。
私は、他の人とは違うのだ。
考え方が違う。人生経験が違う。見てきたものが違う。
だから、共感できなくて当然だ。私は「独自の存在」なのだから…。
(統合失調症の症状にある「誇大妄想」と少し似ていますが、全く違います)
何度も、自分に言い聞かせたことでした。
それは、今でも私を支える考え方です。
どうしても周囲に共感できない私が、この世の中を笑って生きていくためには必須の考え方でした。
ただ、子育てをしていると結構な頻度で、その考え方に苦しむことがあります。
よく言われるのが「みんなそうだから」「誰だって○○だから」「そんなの普通だよ」という類の言葉。
「みんな、子どもが小さい時は苦しいのよ。そのうち、楽になるから。」
「小さな子どもがいるのに、そんなに自分の時間や夫婦の時間を持てる人なんて誰もいないよ。」(「これくらいは夫婦で過ごす時間は持ちたい」という話を公的な場所でした時の返答)
みんな、そうだよ。
普通、そうだよ。
そういうものだよ。
子どもの定期健診を受けた時や、夫の同僚の子持ちの女性など、色々な人によく言われる言葉です。
そう言われる度に、私は心の中で大きな反発をしています。
みんな、そうかもしれないけれど。
でも、みんなそうだから、という考え方をしていたら今の私はなかったんだよ…!!!
私が統合失調症で強制入院に至った時の絶望を忘れることはできません。
「みんな」が経験することではありません。
強制入院というのは、人格を否定される行為です。
長期で精神病院に入院するという、人生を大きく変える出来事に対して「拒否権」がないのですから。
そこからここに至るまでの人生で、「みんなこうだから」なんて自分に言い聞かせる機会は全くありませんでした。
むしろ
「自分は他人とは違うのだ」
と何度でも言い聞かせないと、乗り越えることができませんでした。
だから「みんなそうだよ」「普通そうだよ」と言われても、全く助けにならず傷ついてしまうのです。
強い違和感と抵抗感を覚えます。
そして、「普通そうだよ」で納得する人が多いということにも強い拒絶感を覚えます。
普通こうだから、こういう風に育児してくださいね。
普通こうだから、我慢してくださいね。
こういうメッセージが不快でたまらないのは、私だけなのでしょうか。
そんなことはないと思っています。
ひとが今まで経験してきたことは、誰しも違います。
一人として、同じ経験をしてきた人間はいないと思います。
「普通」なんてどこにもないはずです。
「混乱してしまうから。
情報が多すぎると、混乱してしまうだろうから、普通のアドバイスに従ってくださいね」
(馬鹿にしてるのか?!
自分の頭で考えることくらいできるよ。
私がどういう人生を送ってきたか、あなたには分からないのだから
私の決断は、私に任せてください…!!!)
という思いを抱えて暮らしています。
もちろん、「普通は」という言葉が持つ意味として
「一般的にはこうなるケースが多いから、特段悩む必要はないよ。それは自然な現象で、避けようとしても避けられるものではないからね」
というポジティブな意味があるということは分かっています。
というか、そういう意味が込められていることは、子育てしているうちに段々分かってきました。
しかし、やはり違和感はぬぐえないものです。
すべての「普通」を疑わなくては気が済まないほどに、やはり強い「疎外感」を感じて生きてきたからです。
普通の社会は、私を受け入れてくれなかった。
その思いが強く残っています。
今日はネガティブなことを書いてしまいましたが
なかなか共感を得られない苦しみ、というのは
おそらく統合失調症を患った人の多くは経験しているのではないかと思います。
統合失調症を患うだけで人生はハードモードになりますが、
加えて「周囲に共感してもらえない、共感できない」
という悲しみはどこまで行っても逃れられないと思います。
(私は同じ病気の知り合いを作ろうとせず、病気を隠して社会生活を送ってきたので特に強く感じているのかもしれませんが。)
そのうちに、共感してもらえない、共感できないことには慣れていきました。
そして、自分だけが見てきた景色に誇りを持つようになっていきました。
「 統合失調症を発病するまで(3)~幻覚に導かれた家出~」
「強制入院で経験したこと(1)~電気けいれん療法を受けて~ 」
それが本当に悲しい景色であっても、苦しみの惨状であっても
自分しか見られない景色だった。
その思いに支えられています。
そしてその景色をブログに書いています。
縁があり、読んでくださっている読者の方々に強く感謝しています。
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