私はゆっくりと受験準備を進め、月に一度だったA先生の指導を毎週に増やしていき、
数年もの間受験はせず、準備だけに専念して
つまり「受験しない浪人生活」を過ごして
それから受験し、無事に合格して
大学生になりました。
浪人中、精神科への通院はずっと続けていました。
将来の展望は全く開けていませんでしたが、
とにかくこのままではダメだ、何かしなくては。という焦った気持ちもありました。
経済的に自立したい、というおぼろげな夢はありました。
しかし、私が入学した大学は経済的に自立するために入るような大学ではありませんでした。
それは、大学生活を送りながら徐々に気づいたことでした。
自分は、このままでは食べていけない。
そう感じた私は、「結婚」そして「婚活」を意識しました。
今、稼げる女性がたくさんいますし、共働きがスタンダードの世の中になってきていることはよく分かります。私の学生時代も、そんな兆候は既にあったと思います。
それでも、私はきっと稼げないだろうと思いました。
専門について詳しい説明は省かせてもらっていますが、ほとんどの学生が卒業後、自分では食べていけない道をたどる分野です。
とはいえ卒業後すぐに結婚できる訳もなく、卒業後はブラック企業や非正規の仕事を転々とする苦しい日々を送ることになるのですが、それはまた別の機会に書かせて頂きます。
そして、自分に押された統合失調症という烙印がいかに婚活を妨げるものかを知ります。
結婚相談所では「心身の健康」が条件となっていますし、心を病んだ私を愛してくれる人がいるなんて想像もつきませんでした。
「統合失調症という烙印から逃れたい」
当時の大きな目標でした。
結果的に、私は統合失調症の寛解を経て夫と出会い結婚し、結婚生活を送っていく中で統合失調症を完全に卒業し、精神科との縁は完全になくなりました。
減薬には退院した時からずっと取り組んでいました。
多すぎるお薬を、少しずつ減らしていく。
急に辞めては離脱症状が出るかもしれないから、少しずつ、少しずつ。
統合失調症は、寛解しても一生お薬を飲み続ける病気と言われています。
それを承知で、それなら最小まで減らしたい。
ゆくゆくは、ゼロにしたい。
ひそかに「いつか、薬をゼロにする」という闘志は常に燃やし続けていました。