強制入院で経験したこと(1)~電気けいれん療法を受けて~

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高校を卒業する直前、私は精神科の閉鎖病棟に強制入院しました。

ベッドのある個室に運びこまれていった時を今でも覚えています。

ぼんやりとした気分で、ただされるがままになっていました。

後から母親に聞かされて知った話ですが、

入院すると同時に私は

「電気けいれん療法」

を受けていました。

これは、脳みそに電気を流すことで統合失調症を治療するというものです。

通常は一回で終わることはなく、何度も受ける治療法のようです。

私は、自分が知らないうちにこの電気けいれん療法を受けていました。

電気ショックを受けるというイメージで、

「死ぬ可能性もある」というニュアンスの文言も入った同意書に、「麻酔が絶対に切れないようにすること」という条件を書き加えた上で父はサインしていました。

後で知った私は、このことをかなり引きずりました。

「麻酔が切れないように」と要求してくれたことには愛情を感じましたが、

「自分はあの時死んだ可能性もあったんだ」

「そんな大事なことを、自分で決めることも許されず親に決められたんだ」

ということはずっとショックでしたし、

今でも

「あの時、自分は死んでもおかしくなかった」

と思う時があります。

この電気けいれん療法は安全性が高く治療効果も高いとされているようですが、

同意書には死の可能性も含めて了承させていました。

当時の私に電気けいれん療法はよく効いたらしく、

一度だけ受けた後は、薬物療法に移り、何度も受けることはありませんでした。

今の私は結婚し子どもがいて、精神科に通院する必要もなく元気に暮らしていますが、

統合失調症だった時は人間として認められていなかったように思います。

死ぬかもしれないことを自分で決められないなんて、完全に人権は無視ということです。

まあ実態として、自分で決められそうにない雰囲気になっているからなのですが。

入院にしても、精神が錯乱していれば本人の同意を得る必要がなく強制入院させられる訳で。

要は、精神病の人間には人権が認められていないに等しい状態です。

「責任能力がない」から「自由がない」つまり「自由意志が認められない」。

その当時の私はそんなことは分かりませんし、

ただただ苦しんでいただけでしたが、

後々そのことが私に精神的なダメージを与えることになります。

入院した当時の話からだいぶ脱線してしまいました。

今回の記事の初めで個室に運び込まれたと書きましたが、

親が追加料金を払って大部屋でなく個室に入れてくれたという訳ではありません。

精神科の閉鎖病棟では、症状の重い患者は、閉鎖病棟の中でもさらに隔離するために個室に入れられるのです。

その個室には、ベッドが一つと、トイレの便器が一つだけあります。

トイレと部屋の間には、仕切りがありません。

両親はお見舞いに来てくれましたが、

仕切りがないので目の前で用を足すことになります。

曲がりなりにも女性で、多感な時期の高校生なのにどれだけ馬鹿にされているのか、と怒りを感じますが

それが症状の重い患者の扱いでした。

その個室で、私はベッドに両手両足、つまり全身を縛り付けられました。

全く自分の意思で動くことができない、ということのつらさ、苦しさは言葉に表すことができないほどでした。

例えばどこかかゆいところがあってもかくことすらできない。

水を飲むこともできず、点滴が常に腕に刺さっている。

先ほどトイレの話をしましたが、入院してすぐは導尿の管を入れられ、おむつをつけられ、トイレに行く必要すらない状態にされました。

意識はあるのに全く動くことができない私のプライドは木っ端微塵に砕かれ、

とにかくつらくて苦しくてたまらずに叫んでいました。

母親がお見舞いに来てくれた時、主治医のM先生が私の叫んでいる姿を母親に見せて

「あやみちゃんのいつもの様子とは違うでしょう?」

と言いました。

私はそれを聞きながら

「う~、う~…」とうなり、悶えていましたが、

縛り付けてこんなに苦痛を与えておいてそんな言いぐさがあるか!

叫びたいくらい苦痛なのが分からないのか!

と内心強く怒っていました。

それが説明できるような状況ではなく、

何よりも「お前はおかしい」と思われていました。

この時が私の人生のどん底でした。

 
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