高校を卒業する直前、私の閉鎖病棟での入院生活が始まりました。
後から母に聞かされた話ではありますが、両手両足をベッドに縛り付けられて身動きがとれなかった時は、私はほとんどの時間を寝て過ごしていたようでした。
入院する前はよっぽどの睡眠不足だったのか、3~4日ほどほとんど目覚めなかった(らしい)です。
そしてほどなくして両手両足の拘束は終わり、ベッドにお腹だけ固定された状態になりました。
お腹だけ固定されているのも今思えばすごく屈辱的ですが、その時としては手足が自由に動かせることが嬉しくて仕方なかったです。
手足が自由だから、身体がかゆければかくこともできる。
その頃から、二日に一度は看護師さんの付き添い付き入浴を許可され、ずっと洗っていなかった不潔な身体を洗ってすっきりすることもできました。
気持ちが不安定になると踊りながら好きな小説の主人公になりきって叫んだりと、いかにも統合失調症らしい行動もとっていましたが、看護師さんと会話をしながらお風呂に入るのはとても楽しかったです。
入院生活は今思えばすごく屈辱的なことも多かったですが、日常生活に疲れ切った私にとっては楽しく思えることもだんだん増えてきた時期でした。
少しずつ拘束が解かれ自由になっていく感覚。
毎日強制されることは何もない、この開放感。
幼い頃から何かと親に強制されてきた私にとって、入院生活は楽しくも感じられるようになっていました。
抗精神病薬を大量に服用しつつ、ベッドで眠り、毎日お見舞いに来てくれる母親と会話する。
刺激が極度に制限された生活は、刺激に疲れきった私にとっては、両手両足さえ動けばなかなか快適なものでした。
今思えば、全く快適ではないはずなんですが。
つくづく、その時はプライドが消え去っていたと思います。
抗精神病薬はよく効いたようで、また入院生活を楽しめて回復してきていたからか、お腹の拘束はなくなり、一人での入浴許可もおり、
ほどなくして私は相部屋に移ることになりました。
そこでは他の心の病を抱えた方々との共同生活を送ることになりました。
優しく社交的だけど自殺未遂を何度も繰り返す、実は心の闇を抱えた、一児の母であるIさん。
とても笑顔がかわいくて私を慕ってくれた、少し生意気な女の子のYちゃん。
セクシーでおっとりとした雰囲気の女性で、積極的に車にぶつかる事故による自殺未遂を何度も起こしていたNさん。
たくさんの出会いがありました。
Iさんは、「ここに入院してきている人達はほとんどが自殺未遂を起こしたのよ」と教えてくれました。
相部屋に移ってからは、入院生活はとても楽しいものとなりました。
自殺未遂を起こした(らしい)皆さんですが、優しくて繊細な心を持っている方が多かったので、おしゃべりするととても楽しくて時を忘れて話し込みました。
心の闇を抱えた一児の母であるIさんとは音楽の趣味が合い、私のCDのコレクションを家から親に持ってきてもらって、病院にあったCDラジカセで一緒に聴き、音楽について語り合いました。
年下に見えたYちゃんは同じ部屋ではなかったのですが、廊下ですれ違って話しかけられ、仲良くしたいという思いが感じられてすごく嬉しかったです。
「紅茶とコーヒーはどっちがカフェインが多いのかな?」
なんていうちょっとした話題で盛り上がり、
「紅茶の方が多いんだよ!」といって譲らないYちゃんが可愛かったです。
(飲む場合はコーヒーの方が多いと思いますが…。)
主治医のM先生によるとYちゃんは私より実は年上らしく、その幼い雰囲気に驚いたことを覚えています。