【実体験済】毒親と対決することとは(2) の続きです。
私は当初、母親に向けて手紙を書こうと考えました。
母と話していると、私の話を聞かずに母が怒涛の勢いでしゃべりだし、結局は母のペースに飲み込まれて終わってしまうことが多かったからです。
手紙なら、自分の言いたいことをまとめて伝えられる。そう思いました。
そして、実際に書き始めていました。
自分の人生で辛かったこと。進路について主張した時に母が錯乱し、それを優先したために、自分の進路に対する思いを曲げたこと。それがきっかけになり、人生が苦しみのスパイラルに入ってしまったこと。
しかし、結局は手紙ではなく対面で伝えることになってしまいました。
なぜか。娘の育児を手伝うために、半年に一度ほど、新幹線ではるばる訪問してくれる母との「喧嘩」の中で、手紙を書いていることをしゃべってしまったからです。
私はもともと隠し事が苦手です。
特に、長い付き合いである母に対して、隠しておくことがなかなかできません。
親に対してあまり嘘をつく習慣もありませんし、
私と同じく記憶力の良い母と話していると、どうしてもなかなか隠しておけません。
私と母が会うと、10分もすれば私はすごくイライラしてきます。
1時間もすれば喧嘩になります。
3日もいれば大喧嘩です。
娘がそこにいても、関係ありません。
今までの人生を、それをまた克明に覚えている母が言及すればするほど、私の怒りを刺激してきます。
その時、娘が産まれてまだ一年は経っていませんでした。
その頃の私と母の定番の喧嘩は
「なぜ、音楽高校の進路を私に強制したのか。あの時、拒否しようとした私の前でどうして精神的に錯乱したのか」
と私が母を問い詰めるものでした。
精神的に錯乱する母(演技だったかもしれませんが)を前に、自分の気持ちを曲げたという後悔はずっと消えない。
そう言いながら私は泣き、激しく怒りました。
母は
「(母自身の当時の錯乱は)そうなっちゃったんだから仕方ないじゃない」
「音楽高校に進めば、音楽に対して(努力や熱意が)加速すると思ったのよ」
「今は結婚して幸せになったんだからいいじゃない」
「音楽の道は、あなた(私)の幸せにつながると思ってすすめた」
というスタンスでした。
私の質問に対して回答が返ってきた訳ではなく、喧嘩の中でそういった言葉が「ふと」入り込むので、それを私が記憶の中で整理して思い起こしていました。
私はその言葉に現れている「自分の責任を回避しようとする」「私の一度きりの人生を、実験のような軽さでとらえていた」母のスタンスを許すことはできませんでした。
私は怒る中で自制心が消えて、
「手紙書いてるから」
と言いました。
「私は言いたいことがあるから、手紙を書いている。(本を見せて)「毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)」を参考にして書いてる。そのうち書き終わるから。書き終わったら送るから」
それに対しての母が言った言葉は
「手紙はやめて」
でした。
母「私は文章にこだわりがあって、ネガティブなことが書いてある文章は読むことができない。そんな手紙は受け取れない。だから手紙を書くのはやめてほしい!」
私は呆然としました。
なんと勝手なんだろうと思いました。
話しても、ほとんどが母に圧倒的にしゃべられてしまい、伝わった感覚が持てないから、
あえて時間と手間をかけて手紙を書こうとしているのに。
その手紙すら「やめて」と完全拒否。
コミュニケーションがとれない。
まあ、もともとそういう母だから「毒親」なんですが。
でも、そこで終わった訳ではありませんでした。
母は
「このまま、ここで話したい」
と言ってきたのです。
話すタイミングまで指定してきて、なんて勝手な話だ。と思いますが、
私は強硬姿勢に流されやすいので
そのまま続けました。
私は言いました。
「過去のことはどうにもならない。どうしようもない。けれど、あの時自分で進路を選ぶことができなかったことがもとになって、人生で苦しんだ事実はある。事実があれば、企業なら謝罪するでしょう。だからせめて、お母さんも私に謝ってほしい」
これが私の思いでした。
謝ってほしい。
もう、過去には戻れない。
けれど「謝る」という誠意だけは、見せてほしい。
事実があれば、企業なら謝罪するでしょう。という私の言葉は、
夫が私に語った言葉でもありました。
私が母になんと言って自分のどうしようもない気持ちを伝えたらいいか分からない。
母も私のためを思ってしたことだ、母なりの愛だったのに。
と、何度も夫に相談したものでした。
その時、夫はこう言い聞かせてくれたのです。
「もともと、あやみが自分の進路に対して主張した時に、あやみのお母さんが精神的に錯乱したというのが
そもそもおかしい。あやみのことを本当に思っているのなら、そこで錯乱するはずはない。
それでも百歩譲って、お母さんが本当にあやみのことを思っていたとしても、
実態として、お母さんが進路を強制したことであやみは本当に苦しんだ。
企業の会見を見てごらん。どんなに経営努力をしていても、実態として失敗をすれば
謝罪をする。
気持ちじゃない。結果だ。結果が伴わなかったら、謝るのが大人なんだよ」
その夫の言葉を思い起こしながら、私は努めて冷静に話しました。
(ちなみに、繰り返し書いている「私が進路を主張した時に、母が精神的に錯乱したために、私の進路希望を曲げたこと」については、記事でじっくりと書いたことはありません。当ブログは私が統合失調症の発症の片鱗が出た頃、音楽高校在学中からの説明になっており、進路にまつわる出来事は、それよりも前の中学在学時の出来事です。)
母はこう答えました。
「謝る前に、聞いてほしい話があるの。その話を、最後まで、さえぎることなく聞いてほしい」
断るという選択肢はない雰囲気でした。哀願するような雰囲気だったかもしれません。
私「分かった。聞くよ」
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