母の話は、長いものでした。
あやみが産声をあげて産まれたとき。
あやみが音楽家としてテレビに出て、拍手喝采に包まれているイメージが湧きおこった。
そのイメージが、ずっと離れなかった。
でも、それでいいのか。本当にそれでいいのか、正しいのかということは
ずっと考え続けてきた。
小学生の頃の個人指導の先生に
「本当に音楽の道でいいんですか?音楽の道は、自分で決めないと頑張れない、厳しい道ですよ。上には上がいて、どこまで行っても厳しいんです。この子は理屈っぽいから、理論的な仕事、例えば弁護士のような仕事の方が向くのではないですか?」
と言われたこと。
(納得がいかないことがあるとすぐに「どうしてですか?」と質問する子どもでした。)
「弁護士は人の恨みを買うから、そういう進路は考えていない」
と答えたこと。
私が小学生の頃、私の父にも、音楽の道に誘導していいものか相談したこと。
私の父は、その時こう言った。
「女の人は、どの道一生働くことはできないんだ。会社に女性の仕事はない。
だから手に職を
つける必要がある。音楽は、この子(私)の手の職としてはどうなんだ?」
母は、こう答えた。
「(その時に習っていた個人指導の)先生くらいには、なれると思うよ」
父は、それならいいじゃないかと、賛同したこと。
私には年の大きく離れた兄がおり、その兄に対しても進路を強制してきた歴史がありました。(その進路は稼げる職業でしたが。)
父はそれを引き合いに出し
「(兄の)○○に対しても進路を誘導・強制しただろう。そうしたように、あやみに対しても誘導・強制してもかまわない」
と発言したこと。
はっきり言って、母の言った「先生くらいにはなれると思う」というのが、根拠の全くない話だったのですが。
ちなみに、その当時の先生は音楽高校の助教授だったので、確かにその先生くらいになれるのであれば生きるための仕事としては問題ないでしょう。でもその道が、いかに狭き門なのか、両親には全く想像もつかなかったのです。
そして、その当時の個人指導の先生が「自分で決めないと頑張れない、厳しい道」と言ってくれていたけれど
母だけではなく、父にも全く響いていなかったということ。
「自分の人生を自分で決める重要性」という価値観を、私の両親は全く持っていないという事実がありました。
母の話を要約すると
「自分が、あやみを音楽の道に進ませることを夢見たのは確かだ。
けれど、それでいいのかどうかはよく考えたんだ」
ということでした。
自分だけが責められるのは嫌だから、(私の)父と合同でやったことを知らせたい。
それだけのようにも思えました。
私は言いたいことは山ほどありましたが、ぐっと耐えて聞いていました。
「途中で話を遮らず、最後まで聞いてほしい」と話す前に言われていたからです。
いつも話を遮っているのは母の方なのですが。
母は語りながら、すでに泣いていました。
語り終えると、更に激しく泣きながら
「聞いてくれてありがとう。この話を最後まで聞いてくれる人は今まで誰もいなかった」
と言いました。
「ここまで聞いてくれたから、分かってくれたから、謝れる。
本当にごめんなさい。すみませんでした」
深々と頭を下げて、母は私に謝りました。
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