退院直後の生活(3)~浪人、そして大学受験へ。今、思い返してみて~

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しばらく更新が止まっていました。

子どもの風邪が私に移り、私の風邪も長引いてしまい、まだ完治せずに咳をしながら過ごしています。とにかく体力には自信がありません。

子どもはもう元気なのですが^^;

このブログでは、私が統合失調症と戦った過去について語っています。

お陰さまで少しずつ読んで下さる方が増えてきています。

強制入院について書いた記事は人気で、アクセスが多めです。

退院できた後、私は「大学に行きたい」と思いました。

高校に行かず、何にも所属していない立場だと、本当に「世の中とのつながり」がなくなります。

実家住まいだったので両親とは顔を合わせますが、「何にも所属していない」ということに、まだ若かった私は耐えられませんでした。

自分に何かができるという手応えがまるでなかったのです。

手応えがなくて、自信がない。

両親とだけ会話しても、自分の考えがまとまりませんでした。

私は高校生の頃に学校外で師事していたA先生の指導に、月に一度通い始めました。

私が高校から専門として学んだ分野は特殊で、一般的な勉強はほとんど必要ないのですが、特殊技術を極めて学び、大学受験でもその技術を披露する必要があります。

本来、月に一度の指導では足りないのですが、精神的なリハビリのような位置づけでした。

「月に一度がいいのでは?」といった相談を、私の母親が精神科の通院に同行して主治医のM先生にしていました。

母親と主治医の間で決められていく、人生の諸々な決定事項。

私が母親のそばから離れることができなければ、そうなってしまうことは明らかでしたが、その当時の私にはそのような判断はできず、もともと喧嘩が苦手でその場の雰囲気を温和にすることに気を遣う性格もあり言われるままになっていました。

一方、その特殊な分野を離れて、一般の勉強に戻れるとしたらそのチャンスしかなかったとも思います。

私の専門である特殊な分野は、典型的な「食べていけない仕事」につながるものだったからです。

でもその当時は分かりませんでした。

「たられば」は意味がないことです。よく分かっています。それでも、私はたくさんの「たられば」にずっと悩まされ続けました。

現在結婚した、私の最愛の夫が信念としていることがあります。

それは

「自分で決めること」

「どんな選択をしても、後悔することはある。

その時、自分自身の強い意思で決めた、と思えないと乗り越えられないよ。」

その当時の私に、言って聞かせたいです。

たらればを言っても仕方ない。

でも、

「あれは、自分の強い意思で決定したんだ」

って思えれば

言い方は悪いですが、「諦められる」んです。

結果が悪くても、受け入れられる。

もちろん、つらいです。

自分がやってしまった失敗だから、余計に心の痛みを強く感じることもあります。

でも、「もし、あの時自分で決めていれば」

という後悔は、その痛みと比べてもなかなか乗り越えられない苦しみです。

人生を、親とはいえ他人に決めさせてしまった後悔は、なかなか受け入れられない。

「自分でやってしまった失敗による心の痛み」に耐えられなくて、人のせいにしてしまうと、いつまでも言い訳する人生から逃れられない。

でも、「自分でやってしまった失敗による心の痛み」を耐えて、どんな時も必ず「自分で決めて」いれば、きっと失敗したとしても諦められる、つまり受け入れられる。

そうやって人生を受け入れていく。

それがきっと「自信がつく生き方」なんだと思います。

よく「やらないで後悔するくらいならやって後悔」とネット等に書いてありますが、

やみくもに「やってみろ」と行動を進めるスローガンは私には合いません。

やってみたら、取返しがつかないことは人生の中にあると思います。

でも、自分で決めたことなら、諦めがつくんです。たとえ失敗しても。

私は、「自分で決めることの重要性」を教えてくれた夫に感謝しています。

そして、本音を言えば、もっと早く知りたかった。

行動して、何かを成し遂げれば自信がつく、という面もあるでしょう。

でも、行動したからといって必ず成し遂げられる訳ではありません。

努力だけではなく、たくさんの幸運が味方して初めて「達成」や「成功」はあると思います。

きっと「自分で決める」ことが自信をつけるコツだと思います。

自分で決めた人生は、たとえ何があっても「自分らしい人生」だからです。

 

「いつか自分で稼げるようになって自立したい」

当時からおぼろげながら経済的自立を夢見ていましたが

それが実現できる方法は分かりませんでした。

(高卒よりは大卒の方がいいのではないか?

今の疲れ切った状態で大学受験するのなら、新しい分野はきついなあ…。)

そんな状態でした。

世の中には既に出回っていたパソコンを買っていなかった、情報を得ることが難しい家庭の中で

疲れ切った頭で考え、母親と主治医との相談も行われる中、専門である特殊な分野の大学受験を決めました。

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