Eさんとの交際について引き続き書きます。
Eさんは私に交際を申し込んだ直後、休日には必ず会うことを提案してきました。
私が当時非正規として勤めていた職場は年中無休だったため、繁忙期は土日祝日でも出勤を余儀なくされていました。
「毎週会うことにはそこまでこだわらないかな…。仕事が土日にもあるし。月1~2回のデートでもいいかも」
「僕はあやみに会いたい。毎週会いたい」
「告白するまでは、理性的にあやみのことを考えている自分がいたんだよ。でも、告白された時のあやみの表情を見てあやみのことが本当に好きになった。毎週会いたいんだよ」
Eさんは「基本的に毎週会う」と主張して譲りませんでした。
私はそれに強い異論もなかったので、土日祝日のどこかは仕事を休むようにして会うことにしました。
そんなに近い距離に住んでいるわけではなかったのですが、Eさんはいつも私の住まいの近くまで出てきてくれていました。
(誠実なお付き合いとはこんなにも大切にされるものか…!!!)
驚くばかりの日々でした。
以前に交際したことのあるGさんは、私に対してどことなくおざなりで、何だかいつも少し冷たい態度でした。
(もともとそういう人なのかも)
私はそう考えてしまう癖があるので、邪険にされていることになかなか気づかないのです。
でも明らかに、Eさんは私のことを大切にしてくれている。
それが実感できる毎週のデートでした。
結婚後、Eさんが言ってくれたこと。
「僕は、あやみに対して無償の愛を持っているよ。でもそれは、あやみが僕のことをものすごく愛してくれるからだけど」
無償の愛。
それを「見返りを求めない愛」と定義するならば、少し違うのかもしれませんが
夫が私に「無償の愛を与えてくれている」と私はいつも感じています。
無償の愛とは、一般的には、親が子に対して抱く感情だと思います。
でも、私は両親が私に与えてくれた愛情よりも、夫が私に与えてくれた愛を「無償の愛」だと感じています。
それは、私の幸せを本気で願ってくれていること。
そのためにいつも努力して、行動してくれること。
それが伝わってくるからです。
私も夫となったEさんに愛を伝えたい。
その思いを実践するために、苦手な育児に奮闘する日々を送っています。
なぜ、こんなに素敵な人が私を見染めてくれたのか。
不思議になるほどです。
このブログを継続して読んでくださっている読者の方々にも、疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれません。
当時の私は、寛解こそしていたものの統合失調症という病名を持った、非正規の仕事に就いている女性でした。
はっきり言って、スペックは低かったと思います。
付き合い始めた頃、Eさんに
「私のどこが好きになったの?」
と何度も尋ねたものです。
「あやみと話が合って楽しいところ」
「理論的な話ができるところ」
「思いやりがあるところ」
実際、私もEさんと話していてすごく楽しく、こんなに話していて面白い人がこの世の中に存在するのかと驚きました。
感覚がしっくりくる感じ。
話していて、違和感がない。
そう感じる人に出会えたことは、大げさでなく、私にとって初めてのことでした。
Eさんは私が色々と考えたり調べたりすることを好意的に見てくれた、初めての人のように感じました。
私は音楽業界に生きていたこともあり、また基本的に非正規の仕事を転々としていたので、考えることが好きなことを評価されたことはほとんどありませんでした。
Eさんと話していると自分が水を得た魚になったようでした。
考えて、話す。
調べて、共有して、話す。
私独特の癖のようなものを愛してくれました。
私の物腰の柔らかさも、どちらかというと舐められて利用されることが多かったようにも思いますが、
「思いやりがあるところ」
と言ってくれるEさんのことが大好きになりました。
Eさんは私の柔らかな態度を決して利用せず、最大の思いやりを発揮して接するように努力してくれました。
今でもお互いに思いやって暮らす習慣は大切にし続けています。
Eさんと、結婚したい。
私がそう思い始めるのに時間はかかりませんでした。
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