過去への巡礼~私はもう、一人じゃない~

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私が今までの人生で一番幸せだったことは、夫との結婚です。

それを強く実感したのは、結婚後、地元へ帰省したときのことでした。

私と夫の地元は、同じです。

その帰省では、産まれた娘と共に、夫と家族三人で地元へ帰りました。

娘を義理の両親に預けて、結婚前にデートを重ねていた場所に夫と行きました。

いわゆるデートスポットとされるところです。

夫からの告白も、プロポーズもそこでした。

そしてそこは、夫と出会うよりも前に、私が非正規で働いていた職場がある場所でもありました。

楽しい思い出も悲しい思い出もたくさんつまった、私が一番好きな場所です。

プロポーズされる前にも乗った、観覧車に二人で乗りました。

観覧車から降りて、周りを散歩しているとき。

告白を受けた直後、近くの川辺の芝生に座って「あやみと一緒に旅行に行きたい」と言われ、たった今付き合い始めたばかりなのにと驚いた記憶。

そういった幸せな記憶が立ち昇り、まるでその時に戻ったようだった、その矢先のこと。

ふと、私が過去に、非正規の仕事で研修を受けた、研修センターが目に留まりました。

(なぜ、告白された時とプロポーズされた時は気づかなかったのだろう…?)

考えてみたら、その時はどちらも夜だったので、視界に入らなかったのだということに気付きました。

昼間で明るいから、視界に入ってきた研修センター。

過去に、研修を受けた時の気持ちも思い出されました。

あの頃は「頻繁にクビになってしまう仕事を、また見つけてなんとか続ける」ことに精一杯で気づかなかったけれど、本当は心細くて仕方なかったということ。

両親も心から信頼はしておらず、信じられる人が一人もいなくてすごく寂しかったこと。

仕事を選ぶ余裕はなく、どんな仕事でも、私を受け入れてくれた職場ならやるしかないと自分を追い込む日々。

何度か一緒に昼食をとった、一緒に研修を受けた既婚女性が「この仕事はハードそうだから、辞退しようと思っている」と言っていて、仕事が始まったら本当に辞退してしまっていた。

仕事を選ぶことができる既婚女性をうらやましく思って、けれど「うらやましい」という感情には慣れきってしまっていたこと。

今は、私の隣には最愛の夫がいる。

いつも私のそばにいてくれて、悩みを聞いて理解してくれて、私を幸せにするために努力して行動して、結果を出すまで妥協しないで頑張ってくれる夫がいる。

私はもう、一人じゃないんだ。

そんな実感が、こみあげてきました。

そして思い出したのが、中山可穂という作家の書いた『感情教育』という小説です。



感情教育 (講談社文庫)

この本で描かれるのは女性同士の愛で、一人は既婚者なので不倫の愛です。
(不倫を肯定する意図はありません。私は不倫に対しては反対の立場です。ただ、不倫をテーマにした小説・音楽等の作品は否定しませんし、素晴らしい作品もあると思います。)

既婚者の那智(なち)は、産まれてすぐに母親に捨てられた過去を持ち、施設で育ってきた女性です。
れいというまだ小さな娘がいます。

那智と愛し合う理緒(りお)は、父親の顔を知らずに育ち、母親ともほとんど関わらずに育ってきた女性です。

私が思い出したのは、那智と理緒が一緒に、那智が産まれて捨てられてから育てられた施設を訪れるシーンでした。

那智は、自分の出生に向き合う覚悟を固めて、情報を得られる可能性を求めて施設を訪れます。

「一人で行くのは少しこわいの。理緒さん、一緒に行ってくれますか?」

自分の過去の重さを一緒に背負ってくれる、愛する人と一緒に、自分が育ってきた施設に行きたいという那智の思いに、強く心動かされます。 

私が、妊娠中に精神科を探した時に、夫と一緒に行った時も思い起こします。

「妊娠してから(4)~再度精神科探し。受診する病院を決めた~」記事参照 )

『感情教育』では、施設を後にした那智が、理緒にこのように話します。

「でも、来てよかった。一言でもお礼が言えたから。ここでお世話になっていなければあたしは生きていなかったわけだから」
那智は本当にそう思っていた。こんなふうに思えるようになったのもつい最近のことだ。
ここから生き延びて、れいと理緒に出会えたことに素直に感謝したい気持ちになれた。生き延びてきたことは無駄ではなかったと、那智はあの子供たちに言ってやりたいような気がした。特にみんなから離れて一人で積み木遊びをしていた、かつての自分自身のようなあの女の子に。

あの時、さびしくてつらくてたまらなかった私は、もう一人じゃない。

この人が私の隣にいて、苦しみを分かちあってくれる。力強く励ましてくれる。

私が苦しんできた過去と、那智が両親に捨てられて育ったということは異質な苦しみですが、
『感情教育』の表現には共感し、今引用していても涙があふれます。

特に

生き延びてきたことは無駄ではなかったと、那智はあの子供たちに言ってやりたいような気がした。

 ここまで強く共感するフレーズもなかなかありません。

心から愛する人と、自分の過去の場所に「巡礼」に訪れるということ。

自分の過去と現在がつながり、自分が生きてきたことは無駄ではなかったと思う。

私は『感情教育』を中学生の頃からずっと何度も繰り返し読んできました。

那智が理緒と、自分が育った施設を訪れる「巡礼」のシーンは大好きな個所の一つです。

題材は同性愛・不倫ですが、この小説は「愛することの素晴らしさ・感動」を純粋に描ききることを目指した、素晴らしい作品と思います。

テレビや雑誌、ネットニュース等では、愛することの美しさや感動が語られることはほとんどありません。とりわけ男女の愛に関しては、そうです。

けれど、お世話をして成長をサポートする子どもへの愛とは違って、男女の愛は、「これまでの人生で抱えてきたお互いの苦しみを分かり合える」という特徴があります。

苦しんで、悲しい経験をお互いにしてきて、その悲しみにお互いに寄り添う。

苦しみを分かち合えたからこその、安らぎと、心から湧き起ってやまない愛情。

「愛してる。ありがとう」

という言葉では表しきれないほどの、感謝と、愛情があります。

「生きてきてよかった。生き延びてきたことは無駄ではなかった。私に出会って、私を選んでくれて本当にありがとう」

夫に対して、この思いは尽きません。

愛して愛されるということが、どんなに素晴らしいことか。

苦しかった過去から現在までがつながり、生きてきて良かったと思えることがどんなに幸福なことか。

そのことを、これからも表現していきたいと思っています。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
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