統合失調症を発病するまで(1)

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私が統合失調症になったのは、高校生の時でした。

高校生活は大嫌いでした。

周りの友達とも先生とも合わない。

友達ができたと思ったら陰で悪口を言われていたり。

担任の先生は妙なことで怒り、反省文を書かされるけれど納得がいかない。

そもそも私の希望とは違う高校に、母親の希望を押し通される形で受験して、行っていました。

勉強のレベルが低すぎて、つまらない。

何だか高校にいても居場所がない。

いたたまれない。

 

入学してすぐに身体の不調が続いて、日常生活を送るのもやっとでした。

身体が痛くて仕方ない。鉛筆を持つことも痛くて辛い。インスタントラーメンを作るために火傷した。のどが痛くてしゃべることも辛い。

 

寮生活をしていたので、身体が痛いことも、友達ができないことも、ものすごく不便で苦しかったです。

一人部屋ではない寮で、しかもとても狭かったので、もともと静かな環境でないと眠れない私は安心して寝ることができず、慢性的な睡眠不足になりました。

 

高校二年の秋、登校拒否になりました。

 

担任の先生から母親に、精神科に行けという電話連絡がありました。

私はメンタルクリニックを受診して、処方されたお薬を飲んで、自宅で過ごしました。

 

一度、夜と昼が完全にひっくり返りました。

その時は、夜に暗くなった家で寝るのが怖かったです。

朝になり明るくなると、安心して寝られました。

 

音楽を聴いたり、漫画や本を読んだりして過ごしていました。

そのうち近所にコスメやCD、本や漫画などを買いに行きたくなり、昼に起きられるようになってきました。

高校は冬休みになっていました。

 

そしてお正月。

年賀状が届きました。

高校の同級生達が、登校拒否になった私のために年賀状を送ってくれました。

それはもう、本当に嬉しかったです。

年賀状に書いてあった

「待ってるね」

という言葉は、心に染み入り、涙が出ました。

 

ああ、私がまた学校に戻ることを待ってくれている同級生がいるんだな。

何だか希望がまた見えたような気がしました。

 

そしてまた、高校に通い始めました。

 

精神科医の先生に診断書を書いてもらいました。

そこには「心因反応」という病名が書かれていました。

 

このまま何とかなるかな。

そう思っていました。

 

その一年後、自分がベッドに縛り付けられているなんて、全く想像もしませんでした。

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