文章をしっかり書かせて頂く記事は久しぶりになります。
ブログの引っ越しでは、詳しい経緯の報告もせずに引っ越し作業に専念していまい、更新を楽しみにしていた読者さまがいれば、すみませんでした。
夫には「引っ越しを言い訳にしてサボってるみたいだね」と言って笑われていました。
少しでも早く、新しいページを立ち上げなくては…!という一心で、次々と起こる訳の分からない問題に四苦八苦していました。
プラグインでの記事移動がなぜかうまくいかない、というところが問題だったのですが、何とかはなりました。
本題に入ります。
今回は、私が家族を大切にするために心がけていることを話したいと思います。
「愛の翻訳」です。
言い換えると
「愛の表現方法はお互いに違うことを理解して、最大限に相手の愛を受け取るように努力し、自分の愛は最大限に伝えられるように、伝え方を工夫する」
ということです。
これは、一般的に言う
「自分がされて嬉しいことを相手にしてあげる」
とは違います。
ざっくりと二つのポイントを説明すると
1、「自分がされて嬉しいことであっても、相手は望んでいないかもしれない。
だから、相手が望んでいることを知って、それをしてあげる。
→どうやって、それが何かを知るのか?
相手は、自分がされて嬉しいことを自分にしてくれている。
だから、相手が自分にしてくれていることが、相手がしてほしいと思っていること。」
2、「相手は、自分がしてくれたら嬉しいことをしてくれていない。
けれど、相手にとって、自分がされたら嬉しいことをしてくれている。
それは、愛だから、その気持ちを精一杯受け取って感じて、感謝する。」
となります。
私と夫の例で言うと
夫は行動で愛を示すタイプです。
家事や育児を可能な限り分担してくれる、楽しい旅行を企画して実行してくれる、等々。
それは本当に素晴らしいことですし、それ以上の愛はないと頭では分かっています。
ただ、言葉や表情、態度はぶっきらぼうになることも多く、
(私に幻滅したの?と言って喧嘩した話は、「私と夫との関係。」記事に書いています)
繊細なタイプの私はそれに臆してしまうこともあります。
けれど、ぶっきらぼうな態度になることに夫は違和感がないということが、結婚して長く一緒にいると分かってきます。
夫の実家に行けば、義父は昔気質の亭主関白で、常に仏頂面。
それを見て育ってきた夫が、どちらかというとぶっきらぼうな物腰になることは当たり前とも言えます。
私の父はどちらかというと穏やかなタイプで、母が家庭内の権力を握っていますから、各々が育ってきた家庭の雰囲気は違うとも言えます。
そして更に言えば、夫は「行動で示す愛」を受け取ることが、最も愛情を感じるということも分かってきます。
「自分がしてほしいと夫が思うことを、私にしてくれている」からです。
色々と気を遣って感謝の言葉を口に出して伝えるとか、尊敬する気持ちを伝えることとか、
悪くはないのでしょうが、私が思っているよりは夫の心に響かないということです。
だから、できる限り行動で愛を示せるように努力してみる。
私にできることに限界はあるけれど、例えば夫が体調を壊した時にはできる限り楽に過ごしてもらえるように努力する。
いつも分担してもらっている育児・家事を私がやる。(それだけで「ありがとう」と言ってくれる夫に感謝は尽きません。)
夫の寝具を洗濯する、とか。
私がやっていることを例に話しましたが、
うまくいっている家族は、メンバーの中に最低でも一人は「愛の翻訳上手」がいるのではないか?と私は思っています。
夫の実家では、義理の母が愛の翻訳上手です。
義母は自然体で、何も意識せずにできるようですが
亭主関白な義理の父のことを、
「あんまりしゃべらないお父さんだからこそ、たまに言う言葉が重いわよね」
と言います。
義理の母はよく話してよく笑う社交的な人ですが、夫婦の違いを自然に受け入れて尊重していることが伝わってきます。
そして、やはり行動で愛を示すということを実践しており、
「朝起きて朝食を用意するとか、そういうことが愛なのよね」
と言っていました。
この「愛の翻訳」は、育ってきた環境の違う夫婦が長く連れ添っていくためには必要だと考えています。
実践する上で、注意があるとしたら
「相手が喜んでくれることをしてあげたい」
「自分が嬉しいことを相手にもしてあげたい」
という思いがお互いにある、愛情があるうちに実践し始めないと厳しいということです。
愛情がお互いに減ってきてしまうと、
「自分がやられて嫌なことを相手にやり返してやりたい」
だとか
「相手が自分のために尽くしてくれるのなら、できるだけ利用したい(お返しはしたくない)」
という状態になってしまうことも多々あります。
そういった話もネット上ですぐに見つかります。
そうなってしまった時の処方箋ではありません。
そうなる前に、いわばラブラブな時期から、「夫婦仲が悪くならないための予防策」として、
私が考えて実践していることです。
夫婦にフォーカスして話しましたが、子どもについても、経験するものごとや生きる時代の違い、遺伝子の組み合わせによる個性の相違など、違いを感じることはどんどん増えてくると思います。
小さな頃でも、子どもは愛情を求め続けることしかできませんが、親を疑わないことや、最大限の愛情を受け取ろうと努力してくれることは「子どもが親に与えてくれる愛情」です。
子どもとの関わりでも、「愛の翻訳上手」になりたい。
家事と育児が苦手で、元来子ども好きではなく、
自分の不器用さや薄情さに、さんざん苦労している私ですが、
娘が私に疑いのない目を向けてくれて、抱きしめると心底嬉しそうに笑う、
今のうちに翻訳上手にならなくては、と自分に言い聞かせる日々です。
差し込んでくる光が好きです。
山が好きな夫と一緒に、家族で森に出かけた時の写真です。
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