過去のツイートで好評だったものを載せます。(いいねが大体100以上)
自分の思い出としても残しておきたく。
「誰であってもやればできるから」という励ましが支えや活力になる人もいるし、私のように「私はこう生きるしかないから」という諦念と覚悟の組み合わせが響く人もいるだろうと思う。人の心を支えて元気づける言葉は、人の境遇や人生観によって異なるから、可能な限り押し付けないでいたいと私は思う。
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) September 30, 2021
生まれつきのように優しい人がいる。見返りを期待して優しくするというより、条件反射のように人の悲しみに共鳴し思いのままに動くと人のために尽くしているような人。そういう人はよく、打算的な優しい人に利用される。利用されるデメリットに気づいて優しさをすり減らさない生き方を私は推奨したい。
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) April 20, 2021
後悔するのはありだと思っています。後悔していいと思います。この気持ちに充てる言葉は「後悔」が一番近いと思ったら、それは後悔した方がいい時だろうと思っています。
後悔ではなく反省、悩みではなく思考、と前を向くのもいいけれど、しっかり後悔するのも人生の味わいで深みで、幸せの一つです。— そめや あやみ (@AyamiSomeya) April 3, 2021
「私はこう思う」「こんなことを思った」という内容をツイートしていくことが、「一隅を照らす」の実践になると思っているので、堂々とツイートしている。自分の気づいたことは、誰かの気持ちを少し楽にするかもしれない。それはつまり、一隅を照らせたということ。人の役に立てたと、誇っていいと思う
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) July 13, 2020
非正規とブラック企業を転々としていた頃は辛かった。苦しい時は周りにもすごく馬鹿にされる。その頃思っていたのは、まずは自分を幸せにしよう。けど、幸せになれたとしても、この苦しい気持ちを絶対に忘れない。そして絶対に絶対に、私を馬鹿にしてきた人のようにはならない。そこが私のプライドだ。
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) February 4, 2020
朱に交われば赤くなる。しかし私は「青」だったから、紫になった。深く交われば赤紫になる。淡い関係になれば青紫となる。離れて暫く経てば、青に戻っていく。それでも朱に交わった記憶は消えない。赤の刻印は残る。青は紫に変わり、鮮烈な青が戻ることは2度とない。願わくはずっと朱に交わっていたい
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) July 22, 2020
多様性を訴える人が一方で排他的な姿勢を徹底し「自分が提唱する多様性基準」以外は一切認めず口減らしのような言動を始めるのはありがちなケース。多様性基準を決める支配的な立場になりたいだけで、唱えている多様性を本心では求めてすらいない。多様性提唱が陥り易い定番落とし穴なので注意したい。
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) March 15, 2021
“いつか見た忘れかけていた景色”を本の表現を通して見られた時、なかなか分かってもらえない孤独が癒やされる思いがした。本を読んで、全く同じ景色でなくても似た種類の景色と体験が思い出された時に、心の奥底にエネルギーが注入される。誰かの見たことのある景色が共有されたから情熱が沸き起こる。
— そめや あやみ (@AyamiSomeya) September 24, 2021