今思い返せば、もともと強制されて続けていた私の専門について見直した方が良かったかもしれませんが、
その頃はそこまでの気力はなかったと思います。
また親元に戻ったことで、自分らしい人生を自分で考えて築くことが難しく、
何かと干渉してきて人生の考え方を押し付けてくる母親をどうしても拒絶できず、
真綿で首を絞められるようでした。
統合失調症という烙印を押されると、何だか何に対しても低姿勢にならなくてはいけない気分になっていました。
比較的広く知られていることと思いますが、統合失調症による心神喪失が認められると殺人を犯しても罪にならないと言われています。
その影響からか、統合失調症の子を持つ親がいわゆる「子殺し」をした際でも、世論は親の味方であったり、情状酌量で親の罪が軽くなったりします。
こういったことを私はその後知っていく訳ですが、何だか両親に対して
「殺さないでいてくれてありがとう」
と思わなければいけないように感じていました。
実際に両親は、後々になってそういった「統合失調症の子を親が殺した事件」等の話を私がすると
自分が私を殺さなかったことを自慢するような口ぶりを(冗談かもしれませんが)していました。
統合失調症であることで、ずいぶんとプライドを傷つけられ、そして傷つけられても文句を言わず「殺さないでいてくれてありがとう」と言わなくてはいけないような気がする心境。
とてもつらかったです。
そういう負い目を感じているからか、両親に対して反抗もできない。
本来、自分らしい生き方を貫くために、自分に生き方を強制してくる人に対して反発することは誰に対しても許されている権利だと思います。
「こういうことをしなさい」
と言われたら
「じゃあ、お前がやれよ!」
と言い返すということです。
そういう権利が、私にはないように感じていました。
そんな何ともいえない息苦しい環境の中、いやその当時は当たり前すぎて息苦しいことに気付くことさえできませんでしたが、
私は
「いつか、ここではないどこかへ行く」
それを念じてもがいていく人生を送っていくことになりました。
それは、最愛の夫と結婚するまでずっと続きました。