妊娠に至るまで(3)~産みたい病院を決めたとき~

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Sクリニックには、2月に1度ほどの頻度で受診していました。

近況を報告してお薬をもらうというシンプルな受診の後、

統合失調症のお薬を飲みながらの妊娠にリスクがあることを警告されて、

次の診察では妊娠した可能性が強いことを報告していました。

 

妊娠検査薬には確実に妊娠を示す線が入っていたからです。

 

そしてSクリニックの先生は言いました。

 

「妊娠したということでしたら、精神科としてはこちらで診ることはできません」

「え?」

「出産は大きな総合病院でしてください。そして妊娠期間も含めて、産婦人科に併設している精神科で診てもらってください。

うちのような小さなメンタルクリニックでは、妊娠している患者さんを責任もって診察することはできません」

「何かあったときに、こちらには入院設備がないからです」

 

(また、転院か…。)

 

私の本音はこうでした。

転院はけっこう面倒なものです。

いい病院を最初から探せるとは限りません。

Sクリニックの先生はクールなタイプで、すごく相性がいいとは思いませんでしたが、悪くもありませんでした。

少なくともこちらの質問に答えてくれて、向き合ってくれている感覚はあったからです。

 

そして、大きな総合病院での出産を「強制的なまでに」言い渡されたのが不服でした。

少し遠い病院に通うことは大変ですし、

私なりに出産に対してイメージや夢もありました。

 

こちらの気持ちに寄り添ってくれるような病院で産みたい。

母乳が足りなければミルクをたくさん足したい。(完全母乳にはこだわらない)

子どもが産まれた後、流行りのカンガルーケアはせず、すぐに子どもをしっかり温めてほしい。(安全性を重視したい)

母子同室を強制しないでほしい。(産後の身体をゆっくり休めたい)

 

色々な思いがありました。

 

きっと、大きな総合病院よりも、きめ細やかなサービスを売りにしている個人病院の方が私のイメージに近い出産ができるのではないか。

 

大体、精神科が併設されている大きな総合病院で産めというが、妊娠・出産中に統合失調症が再発するとでも言いたいのだろうか???

(その可能性はあると言いたいのでしょうが…)

 

私の感覚として、どうしても再発する気がしませんでした。

10年あまり前、強制入院に至った時の気持ちを、

幻覚に導かれた家出をした時の冷たい空気の感覚さえも、

その時見えた「白い人と黒い人」の幻覚すらも(「統合失調症を発病するまで(3)~幻覚に導かれた家出」記事参照)

明確に覚えていた私としては、

どうしても再発するとは思えませんでした。

 

どうしても、その感覚が今の私にもう一度起こるとは思えなかったのです。

 

なので、私はSクリニックの先生の言うことに従わないことを決めました。

 

すぐに、イメージしている出産を実現できそうな産婦人科をインターネットで近所から探し出し、予約して行きました。

民間の個人病院で、精神科の併設などありません。

出産で何か大きな問題が起きた時に搬送されているとされている総合病院にも、精神科はありませんでした。

 

飲んでいるお薬、ルーランを伝えての受診でした。

医師にお薬の名前を伝えておけば、病名は伝わったと私は認識しています。

 

「こちらの病院で出産してもいいですか?」

「ああ、いいですよ」

 

拍子抜けするほどあっけなく、了承されました。

 

そして次の診察からは時々、夫を同伴して行きました。

胎内の子がはっきりと分かり、胎動として心臓が動いていることが分かったとき

 

「おめでとうございます!!!」

と医師から、看護師から言われました。

 

すごく不安に思っていた産婦人科の病院探しが、あっという間に私の希望通りに動き出しました。

 

子どもができたことが分かったとき。

夫と笑いあい、喜び合いました。

 

夫がずっとずっと、心から欲しがっていた子ども。

「子どもを授かった」

ことが嬉しくてたまらない様子でした。

 

私もとても嬉しかったのですが、

今思えば

「子どもを授かった」

ことが純粋に嬉しかったというよりは、

「お薬を飲んでいても、最短で妊娠した」

ことが誇らしいという気持ちの方が大きかったようにも思います。

 

抗精神病薬を飲んでいることに自分でも
疲れ、

お薬を飲みながらの妊娠をどれだけ怖く、不安に思っていたか。

それでも、妊活の期間が最短で終わり、あっという間に子どもがお腹に宿った事実は

私が母になることに問題ないと言われているようでした。

子どもができたことが嬉しかった。

抗精神病薬を飲んでいた私でも、妊娠することに苦労しなかった。

ずっと、世の中に対し「負け組」のような感覚をずっと持っていた私が

「勝った」と感じた瞬間でした。

 

しかし問題は精神科です。

Sクリニックはもう受診できません。

「うちでは妊婦を診ることはできません」

とはっきり断られたのですから…。

転院を覚悟して無記名の紹介状をもらっておきましたが、新しい精神科を探すのは腰が重いものでした。

個人病院で産むと決めたことは精神科医の指示に従っていないことは分かっていましたし、

産婦人科が併設されていないメンタルクリニックなどの精神科に行けば「うちでは診られません」

産婦人科が併設されている総合病院に行けば「その個人病院ではなくて、こちらで出産してください」

と言われるだろうと思うと、憂鬱で仕方ありませんでした。

 

手元のお薬には幸い余裕がありました。

結婚する前、Bメンタルクリニックにお世話になっていた頃から、いつも多めにお薬をもらうように心がけ、お薬の在庫を貯金のように持っていたからです。

(転院の際にどうしても通院の期間が空いてしまうことはあるので、お薬を多めに所持することは過去にお世話になった複数の精神科医に勧められていました。)

 

私は決意しました。

ある程度、妊娠が経過して出産が近づいてくるまで、精神科を受診しないことを。

手元のルーランを14mgのペースを維持して服用を続ける。
今の産婦人科の個人病院に分娩予約(そこで出産すると決めて一時金を支払うこと)を正式に行うまでは、精神科に行かない。

(私が出産した個人病院は、安定期に入ってから分娩予約をとるスタイルでした)

きっと、分娩予約をとってしまえば、個人病院での出産は覆されないだろうから…。

 

この決断は、きっと両親に話せば反対されただろうと思います。

でも、夫は理解して応援してくれました。

 

私の考えたことは、精神科医の指示に背くものでした。

その決断は、今でも後悔していません。

 

結果的に、それが統合失調症の卒業に繋がっていったからです。

この記事が面白いと感じたら、応援クリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

 

そめやあやみのtwitterはこちら

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加