産後、向き合ったこと(4)~このことが、一番辛かった~

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 産後すぐの時期、私はよく泣いていました。

悲しいことがあれば泣き、嬉しいことがあってもすぐに泣きました。

涙腺がとても弱い時期でした。

感情の波が激しい、もっと言うと

感情のよりどころとするための「何か」が見つからず、起伏が大きすぎる感情を自分でも持て余していました。

いったん気持ちが落ちこむとどこまで落ちていくのか自分でも分からず、それがいつになったら回復できるのか自分でも予測がつきませんでした。

その「どこまで落ちていくのか自分でも分からない」状態になるのがすごく怖くて、

そうならないように予防線をはろうと努力していました。

しかし、自分の思っていることを、嘘をつかずにそのまま話すということが

イコールで自分の無防備な心をさらけ出すことだったので、

嘘をつくこともままならず、

本音で話せば

人に何か言われると激しく傷つき、

何度も何度も「どこまで落ちていくのか自分でも分からない状態」まで落ち込みました。

何よりも、そうなったら「いつになったら気持ちが回復するのか、全く予測がつかない」ことが何よりも辛かったです。

この「傷つく」ことに関しては最愛の夫と話していても起こりましたし、

複雑な感情を持つ実母に関しては言わずもがなでした。

私の母は産後、泊まり込んで手伝ってくれており、新幹線で移動する距離の実家から

単身で飛び込んで手伝ってくれていたことはありがたかったのです。
料理もしてくれましたし、洗濯もお願いしました。

それでも、精神的な距離が上手にとれず、しばしば大喧嘩しました。

妊娠中によく聴いていた大好きな音楽を娘と一緒に聴いていたら
泣いていた娘が落ち着き、眠っていった時
強く感情を揺すぶられて泣き、泣きながら娘に歌いかけていたのですが
「(親が)泣いたら、(子どもをあやしても)意味ないのよ」
と実母に言われた時、それだけのことでも強く怒りを感じたものでした。

また「(自分の)子どもが可愛いと思えない」という言葉は、

周囲の人達を著しく不快にさせるようでした。

子どもが何をしても泣き止まないとか、

体調不良が収まらないとか

一般的に「手がかかる」子なのであれば多少は理解されたのかもしれませんが、

私の娘は手のかからない子でした。

お腹が空けば泣きますが、日頃は泣かず、よく眠っていました。

産んで数か月は母乳も与えていましたが、哺乳瓶で与えるミルクもよく飲みましたし

寝かしつけにも全く苦労しませんでした。

「いい子」を絵に描いたような娘を、「可愛く思えない」と言っても全く説得力がありませんでした。

私は「何か、突破口があるのではないか」と精神的にさまよいつづけ

一生懸命助言を求めていました。

無料の電話相談にもよく電話しました。

自治体の保健師さんにも何度もお話をしました。

でも、なんだか

「困ったような対応」をされてしまうのです。

保健師さんには対面で話していましたが

「困ったような顔」をされるとこちらもいたたまれないのです。

私は比較的、会話している相手の表情や感情を気にするタイプで、

相手が不愉快なことを察すると、

私も一気に遠慮して何も話せなくなってしまうタイプです。

もしくは、話せば話すほど自分が傷ついていくような負のスパイラルに陥る。

電話相談で

「あなたは自分のことが一番好きな人なんでしょう。ご主人のことも、お子さんのこともどうでもいいんでしょう」

と言われたショックは今でも忘れられません。

一応、電話口には心理カウンセラーを出して頂いていたはずなのですが…。

きっとそれほどまでに私の話が不快だったのでしょう。

自治体の定期健診で、臨床心理士に相談したこともありますが
「子どもが可愛いと思えない」
と言ったら
「自分の子どももですか?」
と納得のいかないような顔をされて
(自分の子どもじゃなかったらこの場で言う訳ないだろう…)
と半ばあきれてしまったことすらありました。
そして、なんでこんなにも分かってもらえないのだろう、という無力感でいっぱいになりました。

「子どもが可愛いと思えない」という話は、

助けを求める気持ちで一生懸命訴えているのに

すごく相手を不快にさせてしまうことで

自分も傷ついてしまうという辛さがありました。

一般的に言えば、産後鬱に近い状態だったと思います。

精神科の門をたたいたら、さまざまなお薬を処方されたことでしょう。

けれど、私は精神科の受診はしませんでした。

どうしても受診したくありませんでした。

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