ゴールデンウィークの期間とその前、しばらく更新をお休みしていました。
お休みしている間もアクセスして頂いていた読者のみなさま、ありがとうございます。
お休みの間は夫と娘の3人で、お買い物や公園などに行って過ごしました。
時折「ゴールデンウィークは実家に帰省しなかったんですか?」と店員さん等に聞かれます。
「はい、しません」
そう笑って答えるだけなのですが
よく聞かれることなので、
お子さんのいる家庭で、長期休みには実家に帰省し親に孫の顔を見せる。
というご家族も多いのだろうと思います。
私は、基本的に実家に帰省したいとは思いません。
帰省しても、10分も母と話せば喧嘩になってくるからです。
帰省してもあまり喜ばれないという雰囲気に近いかもしれません。
家事の手間が増えたり、私と喧嘩することが面倒なようで、「早く(夫と暮らす家に)帰ってほしい」と言われたことがあります。
それは子どもができる前、一度だけ帰省した時の出来事です。
実家は分譲マンションですが、両親が片付けと掃除をしないので不用品とホコリに占拠されていて、著しく狭いということもあります。
今夫と娘と住んでいる賃貸アパートの方が、占有面積は狭いのに過ごせるスペースは圧倒的に広いという現状。
このブログでは、時折私の親について書いてきました。
「親に進路を押し付けられた」ことに対するネガティブな感情については、文章を書いていて高ぶってくる度に書いてしまう流れになっていると思います。
その「親」ですが、ネガティブな感情を持って思い起こすのは、大体が母親です。
娘を出産し育児をするようになり、自分自身も「母」となってみて思うことは
「私は娘のことをそれほど愛していないけれど、自分の母ほどひどいことはとてもできない。私の母は、どれほど私のことを愛していなかったのか???」
ということです。
一般的に言われる
「親になってみたら、自分の親のありがたみが身にしみた。感謝の気持ちがわいてきた」
というパターン(?)は全くあてはまりませんでした。
むしろ、こんなに淡々とした冷静な気持ちしか娘に対して持たない私であっても、自分の母ほどにひどいことはできない。
思っていた以上に、母は私を愛していなかったんだな…。
という気持ちが子育てをすればするほどわいてきます。
自分が今まで思い込んでいた(親に思い込まされていたとも言える)、「私は親に愛されている」という思い、またそれを裏付けるような情景の記憶が「そうではなかった」という「種明かし」のような感覚。
なんだ、あれは別に愛情表現じゃなかったんだな。とか。
なんだ、あれは単に支配下におきたかっただけなんだな。とか。
なんでそんなに高圧的な言い方ができたんだ???おかしいんじゃないか???とか。
私は比較的記憶力があるので、人生の至る場面を、その時の言葉や表情や、その時に感じた気持ちを含めて覚えています。
それに対する、ぼんやりと「私は愛されている」と感じていた気持ちを書き換えていくような感覚が常にあります。
何しろ、自分の人生を思い返せば思い返すほど、
ジグソーパズルのピースがはまるかのように
合点がいくことがたくさんあります。
大学生の頃、就活にチャレンジした時のこと。
結局、研修期間に辞めてしまうような仕事を見つけてしまったのですが
「就活」をしている感覚は「楽しかった」のです。
考えることが楽しい。自分の適性について考えることが楽しい。
志望動機を考えることが楽しい。
そう感じていました。
同じ大学で就活に取り組んでいた友達に「就活って楽しいね」と話すと
「信じられない」という反応。
そりゃそうです。就活が楽しいわけない。
エリート大学出身ではなく、音楽を専門とする単科大学出身なので、「いい企業」からは全く需要がありません。
そんなことが楽しいわけないのに、
それでも楽しかったのです。
今なら、なぜその時楽しいと感じたのかが分かります。
それほど、私には音楽が向いていなかったのです。
日々練習している楽器が苦行でたまりませんでした。
それに比べたら、就活は楽しかった。
そういう状態でした。
音楽が向く人であれば楽しめること(発表する高揚感や、音楽が自分で表現できること、好きな曲に取り組めること等)も、私にはあまり楽しめていませんでした。
はっきり言って、小さな頃に、ガンとして譲らず「嫌だ」と言い張って辞めればよかった。
でも、そんな発想すら思い浮かばないほどの物心もつかない年からやらされていたのです。
私が親になってみて思うのは
「子どもがそれを嫌がっていること、つまらないと思っていることくらい見ていて分からないか???」
ということ。
私は小学校の頃から常にため息をついているような子どもでした。
特に、習わされている楽器のレッスンと練習中はひたすらため息ばかりついていました。先生には注意されていましたが。
でも、楽器の練習をやらないと母親が怒る。ひどく悲しむ。それ以外のこと(習い事など)を好きになると、邪魔してくる。
そんな雰囲気が蔓延する家庭のなかで「ここで生きることしかできないのなら、言うとおりにするしかない」と腹をくくっていたような気もします。
結婚してやっとそんな実家を出れたので、帰省なんか一瞬たりともしたくないのが本音です。
親になってみて本当に強く思うのは
「そんなに子ども自身がつまらなく思っていることを無理矢理やらせたところで、本来の能力をつぶすばかりで全く伸びないことくらい分からないか???親の年になって、そんなことも分からなかったのか???」
ということです。
私は自分の子に対して愛があふれてくるという人間ではありませんし、
子に対して時間や手間やお金をかけることを不愉快に感じるという、母性のない母親ですが
「本人が(無意識レベルであっても)明らかに嫌がっていることを、やらせるように心をコントロールするなんて、あまりにかわいそうでできない」
と思います。
大体子どもでなくたって、どんな関係性の人にだってそんなにひどいことはとてもできないのですが。奴隷にすると等しいことを。
それって人間がやれることか???母は人間の心を持ってないのではないか???
そう感じているほどです。
この「音楽(楽器)を何がなんでもやらせる」ということを執念で就き進めたのは母なので、私がメインで嫌っているのは母親です。
では父はどうだったのか。
結論から言うと、父はそれほど憎めないです。
私の父についてはまた次回に書かせて頂きます。
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