先日お問い合わせを頂きました。統合失調症のお子さんを持つお母さまから、病状やお薬についてのご相談です。
「先日薬を飲まないでいると、ぶり返してしまった」という内容も含まれていましたので、読者の皆さまに向けて追記させて頂きます。
一番初めの記事「統合失調症と戦って、勝ちました。」にも書きましたが
私は独断でお薬をやめたわけではありません。
医師と相談の上で行った断薬です。
自己判断でお薬をやめることは決して推奨していません。
統合失調症を患っている方がいらっしゃったら、心に留めて頂けるよう願っています。
前回の続きに戻ります。
D病院で笑顔で出迎えてくれた女医先生は、今までにお世話になった先生たちとはタイプが違っているように感じました。
今までの先生たちは、D病院の先生と比べるとどこか神経質な雰囲気がありました。
ピリピリしていた、とでも言いましょうか。
関係ないのかもしれませんが今までの先生たちは体型も痩せ型でした。
ふくよかな女医先生が、おおらかに笑って出迎えてくれました。
この安心感は、格別でした。
事前に書いた問診票と、紹介状を診てくれます。
前回詳しく書いた紹介状ですが、思った通り過去の紹介状は同封されていない簡素なもののようでした。(先生の手元の紹介状が少し見えました。)
隣で夫が見守ってくれていました。
「そめやさんは、入院する前にどんな症状がありましたか?
あ、ご主人が同席していて大丈夫?席を外していてもらいますか?」
「大丈夫です。主人にはそばにいてもらいます。
入院する前、そのとき習っていた先生の声が頭の中で何度も響きました」
(「統合失調症を発病するまで(3)~幻覚に導かれた家出~」記事参照)
「その先生は、なんて言っていましたか?」
「あなたは本当にきれいな心なのね、と言っていました」
隣で夫がくすりと笑いました。
「その先生のことは好きでしたか?それとも、どちらかというと嫌いでしたか?」
「うーん、それから色々あって難しいところですが、その頃はすごく好きでした」
こんなやりとりを精神科医とするのは初めてでした。
精神科医から質問をもらえるということ自体がほとんど経験のないことでした。
食べているか、寝ているかという生活習慣について聞かれることは耳にタコができるほどありましたが、
このような深い内容のやりとりをしたのは初めてでした。
一般的に精神科医というのは、意外と患者の話を聞いてくれない印象です。
話を聞くのはカウンセリングの役割だと思っているようで、精神科医はどちらかというと目視などで判断してお薬を出す役割のようです。
(「恥辱の転院(2)~Bメンタルクリニックとの出会い」記事に詳しく書いています)
しかし、D病院の先生は踏み込んで話を聞いてくれました。
過去の紹介状が同封されていなかったことも理由の一つでしょう。
それでも、私自身に聞いてくれることが嬉しくてたまりませんでした。
「統合失調症は、誤診だったかもしれないね」
…!!!
先生は続けました。
「統合失調症で聞こえる幻聴は、どちらかと責められるような内容が多いんですよ。そめやさんのような、褒められたという内容は珍しいです」
「そめやさんはその先生のことが好きだったんですよね。どちらかというと、嫌いな人の声が聞こえることが多いんですよ」
強制入院した時の光景が思い浮かびました。
あの、病室で踊り狂っていた私。
私をベッドに縛り付けて強制入院させることに、両親含めて誰も疑問を持たなかったあの時。
命を失うリスクがある電気けいれん療法を受けるとき、あの慎重な両親も反対しなかった。
その様子を描写しているだろう、過去の紹介状をこの先生は見ていない。
だからこの言葉は出てくるのだろう。
「誤診」という言葉。
過去のお世話になったBメンタルクリニックの先生の言葉が思い出されました。
忘れたことのない言葉。
「そめやさんは、脳みそが比較的刺激に弱くて、ストレスに弱いんですよ。なので、ずっとお薬は飲み続けると思っていてくださいね」
ストレスに弱い自分の脳みそと付き合っていくと思って服薬を続けなさいと言われ続けてきたこと。
それを忘れたことは一度もありません。
そして、ずっとついてまわってくる統合失調症という病名。
子どもが産まれたら、授乳の時も服薬するのか???
という質問には
Bメンタルクリニックの先生は
「ルーランのこの服用量なら問題ありません」
と言いました。
しかし実際に妊娠すると、やはり不安は募っていました。
インターネットで検索した時、産後、抗精神病薬の服薬を優先するために母乳を止める注射を打ち、計画的に完全ミルク育児にした母親のエピソードも見つかっていました。
そういった選択肢の検討を、今の体制(精神科と産婦人科の連携が全くない状態)ではできるはずもなく、不安を感じていた時期でした。
D病院の先生は続けました。
「そめやさんは、その先生に褒めてもらいたかったんだね。その思いが、言ってほしかった思いが、幻聴として聞こえたんだと思う。それはもしかしたら、統合失調症ではなかったかもしれない」
「でもとりあえずルーランはそのまま飲み続けましょうね。妊娠に悪い影響はありませんから。一日2mgでいいですよ」
私はD病院へ通院することになりました。
一日4mgだったルーランは2mgに減りました。
妊娠中期のことでした。
誤診だったかもしれない、という言葉が先生から出たのはその後の通院の中でもこの一度きりです。
本当に誤診だったのかどうか、今でも私も分かっていません。
もし誤診だったとしても、強制入院に至った時の私を診たら(過去の紹介状を読んだら)その先生だって何と言ったか分かりません。
そもそも、統合失調症の診断には医師の主観が入ります。
光トポグラフィー検査の導入などのニュースも聞きますが、あくまで補助的な役割のようです。(私が発病した頃はまだ存在しない検査方法でした。)
「この人、おかしいな」という医師の直観が重視されている可能性は十分あると思います。
一つ言えるのは、現在の医療では
「統合失調症は寛解はあっても完治はない」
と言われているということ。
その言い方だと
完治よりも誤診の方が「ありうること」
とされていてもおかしくないと考えています。
医師として統合失調症が「治った」とは言えないから「誤診」の可能性に追及したのではないかと、個人的には感じています。
私の感覚では「誤診だった」というよりは「治った」の方がしっくりきます。
もしくは、統合失調症という病名自体があやふやで、定義があいまいなのかもしれません。
「そのとき」精神状態が錯乱している人を診て、閉鎖病棟に入院させるためには必要な病名。
発病のパターンは様々なのでしょうが、私はそうやって病名を与えられたと思っています。
応援クリックいつもありがとうございます。励みになっています。