株式投資を始めたのは、結婚して子どもが産まれてからです。
独身の頃はそれどころではありませんでした。
ちまちまと積み立てていた定期預金は自力で100万を超すことはできませんでしたし、
生活費のための普通預金口座は20万そこそこを前後する、そんな状態でした。
今は、株式購入に充てられる余剰資金があります。
それは何よりも経済的に強い夫に恵まれたということが一番大きい理由なのですが、
始めのきっかけとなったのは
「結婚式のお祝儀」でした。
私と夫が結婚式を挙げた時に、お祝いの気持ちで贈っていただいたお祝儀。
私がまとまったお金を手にすることができる「最初で最後のチャンス」でした。
(この時点で不快に思われましたら、この先は読み進めないようにお願いいたします。)
結婚式を挙げたその時に、それを自覚していた訳ではありません。
後からしみじみと、今になって思うことです。
ああ、本当に最初で最後のチャンスだったのだなと。
いわば、投資の「種」となるお金を手にするチャンスでした。
くり返しますが、その時は自覚はなかったので、私あてに頂いたお祝儀を私名義の貯金にするということは、「流れ」のようなものでした。
結婚してすぐの頃、夫が
「あやみがいただいたお祝儀は、あやみの口座に入れておいていいよ」
と言ってくれました。そして結婚式にかかった費用は夫がすべて負担してくれました。
結婚式からしばらく経ってから、このことが話題になりました。
私がどんな風に訊いたかは覚えていませんが、夫の言葉はよく覚えています。
「あやみも自分名義のお金を持っていた方がいいから」
それを聞いた時、本当に嬉しかったです。
百万単位でお金を持てるということは、生きることに対する安心感が全く違います。
ギリギリの感覚が減り、未来を前向きに考えられるので
「自分の人生が愛おしい。大切にしたい」
という気持ちが湧いてきます。
未来を考えた時に「嫌で嫌で仕方ない」という気持ちが瞬時に湧いてくる状況だと
考えることさえ嫌になりますし、
現実逃避したくてたまらなくなりますし、
継続的な努力は面倒でたまらなくなります。
(どうせ努力したって、すべて無駄になるかもしれないし
そういった経験もたくさんある。
というか、努力が実った経験よりも、努力が全て無駄になった経験の方が圧倒的に多い…!)
という気持ち・感情に支配されていたのが、
百万単位のお金を自分名義で持てるようになると、
全く気持ちが違ってくるというのは、自分でも驚きました。(もちろん結婚して経済的に安定した安心感も大きいです。でもそれだけではないと感じています)
ただ、まとまったお金=安心感が得られる
とは限らないと思います。
基本的にはお金は「あればあるほどありがたい」「あればあるほど使いたくなる」
ものと思いますし、「まだまだ足りない」と強く感じさせるかもしれません。
私は「自分には仕事ができない、どこからもお払い箱にされてしまう」という絶望に支配された記憶が強く残っていることから、
夫が「家族を経済的に養うこと」を愛の表現方法のひとつとして考えてくれることが
ありがたくて仕方なく、
そういった特殊な事情があるから
まとまったお金があることが大きな安心感につながった可能性もあります。
結婚して子どもが産まれるまでは、できるだけ金利のよい預金口座を探しながら定期預金にしていました。
しかし子どもが産まれてから夫の提案で積み立て投信を開始し、その後
今年の初め頃にあった米国株の暴落にあわせ、米国株の購入を始めました。